2019.06.02 作曲家個展シリーズVol.8<信長貴富>

文責:蛭田、石亀

 2019年5月31日(金)~6月2日(日)の3日間、JCDA日本合唱指揮者協会主催の第20回北とぴあ合唱フェスティバルがありました。その3日目のクロージングコンサート「作曲家個展シリーズVol.8<信長貴富>」に出演いたしました。

 Voces Veritasは2019年3月14日に開催した第9回演奏会で演奏した男声合唱とピアノのための『くちびるに歌を』より「白い雲」「くちびるに歌を」の二曲を演奏いたしました。

「くちびるに歌を」は耕友会総選挙でも演奏した曲です。今回はその2曲についてお話していきたいと思います。

楽曲解説

男声合唱とピアノのための『くちびるに歌を』
作曲:信長貴富

 2005年、東海メールクワィアー(指揮:飯沼京子)によって初演されました。
 本組曲は4曲から成り、それぞれ異なる詩人によるドイツ語の名詩とその日本語訳が交錯する形で作曲されています。男声版初演後、2007年に混声版、2011年に女声版へ編曲され、信長作品の中でも特に強い人気をもつ作品です

 信長氏は組曲の作曲意図について次のように述べています。

 今回作曲の機会をいただいた際にまず思い立ったのは、自分の中のロマンティックな部分を迷うことなく表現してみようということでした。ロマンティックな音楽を書くこと、これは思いのほか勇気のいることなのです。(中略)
 しかしながら、それでもなおロマン的な表現を強く望んだのは、現代という渇いた時代を潤す歌を書きたいという願いがあったからです。
(男声合唱とピアノのための『くちびるに歌を』まえがき より)

 ロマンティックな音楽を書きたいという信長の思いは、ドイツロマン主義的想念に満ちたテキストの選択につながりました。ドイツ語の原詩と日本語訳とが並存している本組曲ですが、このように複数の言語を共存させるアイデアを得たのは、1994年の全日本合唱コンクールでの安積女子高等学校(現:福島県立安積黎明高等学校)による二群の童声(女声)合唱とピアノのための『森へ』(作曲:鈴木輝昭/作詩:「地球歳時記’90」より)の演奏がきっかけだそうです。

 これに感激した信長氏は、自身の作品でも同様の手法を試み始めます。その中で最も早く作曲されたのは、無伴奏混声合唱曲集『Faraway』収録の「How long I love to listen」(1997年作曲)です。木島始による日本語と英語の詩を用いた小品ですが、後の本人談では「言葉のアクセントと音楽の関係を捉え切れておらず、作品としては力不足」と振り返っておられます。

 このようないくつかの試みを経た後に生まれたのが『くちびるに歌を』なのです。ここでは、ドイツ語は音要素としての役割を果たしています。ドイツ語による原詩は、声に出して読まれることを前提として書かれており、音そのものの美しさを有しています。その美しさを生かし、言葉のアクセントや発語の響きから、ロマンティックな音像を造り出しているのです。

 一方、日本語の訳詩には忠実な作曲がなされているわけではなく、詩の大意に沿うようパラフレーズ的に扱われています。これは、ドイツ語によって導かれた音楽の中から、母語による情感を呼び覚ますことをねらいとしており、そのため、作曲されていない語句も多々見受けられます。詩に忠実な音楽というより、詩から得たインスピレーションをもとに、詩が自由に構成された形であると言えるでしょう。

白い雲
作詩:ヘルマン・ヘッセ 訳詩:高橋健二

 ヘルマン・ヘッセは、20世紀のドイツを代表する文学者です。日本でも「少年の日の思い出」などが広く知られ、世界で最も読まれているドイツ人作家の一人と言えるでしょう。

ヘッセは、常に自分自身のアイデンティティを探し求めた詩人です。ドイツのカルフに生まれてから、生涯のうちに10回以上もの転居を繰り返し、更に数回の精神疾患に苛まれるなど、自身のアイデンティティが揺らぐような事態を数多く経験されました。「白い雲」は、ヘッセが1人目の妻と出会う20代後半の頃の作品であり、この頃のヘッセの作品はノスタルジックで牧歌的な雰囲気のものが多いですが、この詩には、ヘッセの孤独やさすらいを愛する心情が強く反映されています。

 詩は3つの連から成ります。雲が漂う様子を描いた第1連は、曲の冒頭と終末において、ホ長調に乗せ、ドイツ語・日本語ともに繰り返し歌われています。対してヘッセのさすらいへの愛が語られる第2・3連では、1つの調に落ち着くことなく、次々と色彩が移り変わっていき、まさに移ろいゆく雲を想起させます。さらに第3連は、訳詩に作曲がなされておらず、ドイツ語のみが歌われています。あえて日本語によるパラフレーズをせず、ドイツ語のみで歌われることにより、ヘッセの思いがより強いメッセージとして聞く者の心へ届くことでしょう。

くちびるに歌を
作詩:ツェーザー・フライシュレン

 本曲のタイトルは「くちびるに歌を(Hab’ ein Lied auf den Lippen)」ですが、フライシュレンによる原詩のタイトルは「心に太陽を持て(Hab’ Sonne im Herzen)」です。

 フライシュレンはドイツの詩人です。彼の作ったこの詩は、第二次世界大戦に向かおうとしていた暗い時代、ドイツの多くの家庭で聖書の句と共に壁に掛けられ、多くの人の心を温め、励ましていました。

 この詩を初めて日本に紹介したのは高橋健二です。ドイツ留学時、この詩を知った高橋は、帰国後、自身の担当する独語講座で取り上げました。その話を聞き、自身の企画する文庫に収録するため、自らの手で翻訳したのが山本有三です。これをきっかけに日本でもこの詩が広く知られることとなりました。

  高橋によれば、フライシュレンは、当時の印象派の影響を受けた「受身的で感情的、情調を尊ぶ詩人」であったといいます。それに対し、山本は「意志的で、闘争的な主題を好んで扱う劇作家」であり、彼による訳は、原詩に対してかなり煽動的で、文体も力強いものになっています。そのため詩の最後には「―フライシュレンによる―」と書き添えられており、原詩が持つエネルギーやメッセージの強さが、山本の創作意欲を突き動かした結果と言えるでしょう。

 詩の持つエネルギーは、作曲者である信長氏の心をも動かしました。作曲にあたり信長氏は、既存の訳詩を用いるのではなく、自ら翻訳、構成を行うことで、よりメッセージが凝縮された新たな詩とも言えるような一編を生み出しました。

 大戦に向かっていくドイツ市民の心に明かりを灯したフライシュレンの詩。そのメッセージを現代を生きる人々へ語りかけ、渇いた時代を潤したい。そんな信長氏の思いが結実し、今なお多くの人によって歌い継がれ続けている名曲です。

終わりに

 信長貴富氏の『くちびるに歌を』の魅力が伝わったでしょうか。Voces Veritasの演奏は、こちらの2つがお聴きいただけます。

・2019年(令和元年)5月1日耕友会総選挙で演奏した「くちびるに歌を」
・2018年7月8日第73回東京都合唱祭で演奏した「くちびるに歌を」
(YouTubeより)

 今回の「白い雲」と「くちびるに歌を」の解説をご覧いただいた後で聴くとより言葉や音に込められた意味が伝わってくるのではないでしょうか。

次のvoces veritasの演奏会は2020年3月23日(月)の第10回記念演奏会です。場所は文京シビックホール=大ホールで、チケットも販売中です!詳しくはAbout 10th Concertページ
Ticketページをご覧ください!皆様のご来場をお待ちしています!

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